• 電話:044-866-0559
  • 〒216-0004
  • 神奈川県川崎市宮前区鷺沼4-13-7

ホーム > 今月のことば

今月のことば【9月】夏休み

なつやすみをたのしかったですか?
おもいっきりあそびましたか?
およいだり、はなびをしたり、りょこうにいったり . . .
でも雨がたくさんふりましたね。せんせいたちは
なつまつりやおとまりほいくなどでみなさんの
えがおをみてとてもうれしくおもいました。

さぁ2がっきがはじまります。
なつやすみになにをしたかおはなししてくださいね。
みなさんの元気な姿を待っています!
またいっしょにあそびましょうね!

保護者の皆様、今年の夏休みはいかがだったでしょうか。
天候不順もあり、思いっきり遊べず御機嫌斜めの
子供達のそばで苦労されたのではないでしょうか。私は夏祭り、

お泊まり保育夏休み中の特別保育などで園児さん達と過ごす機会があり
子供達の笑顔や成長の軌跡を感動しながら見ておりました。

さて今回は学校にとっての夏休みという機会について
お話したいと思います。皆様の学生時代を思い出してみていただけるでしょうか。
中学高校では夏休み期間、学校では補習、部活、合宿、面談など本当に
様々なことが目まぐるしく続いていきます。なぜこのようなお話をしているかというと
先日通っている接骨院の先生に「学校の先生は夏休みが長くていいですね〜」と
言われ内心ショックを受けたからです。上のような過密スケジュールなのだと
申し上げたところ先生はびっくりしていました。分かっていただいてよかったと
思いましたが同時に世間の理解はそうなんだ〜とちょっとがっかりしている自分もありました。
幼稚園の教職員も同じような夏休みを過ごしています。幼稚園では夏休み園児さん達は
登園する機会は減りますが、教職員はその間、夏期保育、2学期以降のクラスでの活動の
教材研究・準備、劇、運動会や遠足の準備や下見、そして外部の研修会にも参加しています。
中高と幼稚園では対象年齢が違うため業務内容は随分異なりますが、それでもそれぞれの
仕事を通してその向こうにいる子供達一人一人の子供を思い浮かべてそれをモチベーション
として頑張っているということは一緒です。
今日は少し保護者の皆様にはお伝えできていないこの時期のサレジオ学院幼稚園の
教育の舞台裏についてお話させていただきました。

2学期以降もお子様の成長に寄与するため教職員一同頑張って参りますので
ご理解とご協力をお願いいたします。

今月のことば【7月】「遊びをせんとや生まれけむ」

おうちのまわりをみて!

あじさいがさいているね。あお、あか、しろ。きれいだね!

あつくなってきたね。みずあそび、どろんこあそび、たのしいね!

むしさんがいるね。なんびきつかまえた?

うごいているね、いきているんだね。

いのちをくださったのはかみさまだよ。

かみさまからいただいたいのち、たいせつにしようね!

 

保護者の皆様へ

「遊びをせんとや生まれけむ」(梁塵秘抄)

サレジオ学院中学校、高等学校でも仕事をしているので、園児さんと遊ぶ時ついそこから逆算
して考えてしまいます。
高校では抽象的な複雑な事象を学びます。数学、物理、化学、生物、地学など理系の学問では
特にそれが顕著です。定理、数式を利用し様々な応用・分析問題を解きます。
一方中学では理科の授業で実験を多く行います。実験は抽象的な学問を学ぶ前にその土台として
実際に事象に触れ、観察し、結果を確認する機会としてとても大切な「学び」の時です。
中学入試で「知識」としての理科を「覚えている」小学生は、中学に入り実験を通して自分の手や
耳や目を使ってじっくり事象と向きあうという学びの基本を体験します。
そしてそれが大学受験に耐えうる学力につながっていく . . . 「帰納的学習」 と「演繹的学習」は
学びのプロセスの両輪です 。
さらに遡って。私たちは「体験の大切さ」を幼稚園教育のキーワードだと考えます。
3歳から6歳という発達段階にあった学びの機会を提供することがサレジオ学院幼稚園の使命です。
そしてそれらを実現する貴重な「しかけ」こそが「遊び」です。「遊び」の中で「体験」する「学び」の
瞬間。多くの場合遊びの中での何気ない「どうして?」がきっかけとなります。

「あのあじさいさんはあかだね、こちらのあじさいさんはあおだね、どうして?」

「水鉄砲おもしろいね。どうして水がとびだすのかなぁ?」

「虫さん元気にうごいてるね。生きているんだね。どうして?」

「なぜ虫さん死んじゃったのかな?」

「いのちはだれがくれるのかな?」

実はこれらは子供にとって難問、私たちも答えに窮してしまいます。酸性・アルカリ性という土壌の
見えない特徴、圧力という目に見えない力、そしていのちの創造主という目に見えない方の存在 … 科学、哲学に
関する問いを巡って大人は真摯に謙虚に子供と向き合わざるをえなくなります。目の前にいる子供たちに
どうそれを伝えるのか?まだ待った方がいいのか?「遊び」とは一瞬にして私たちを
「目に見えない永遠の世界」に誘うものです。たかが遊び、されど遊び。
ふと「遊びをせんとや生まれけむ」という『梁塵秘抄』の一節を思い出しました。

今月のことば【6月】「父の日」

6がつになりました。おにわのしゅやくはあかいばらさんからあおいあじさいさんになりますね。
かみさまはいつもいろいろなおはなをくださり、わたしたちをたのしませてくださいますね。

さて6がつは「ちちのひ」がありますね。もうおとうさんへの「ありがとう」のおてがみはかきましたか?
いつものかんしゃのきもちをおとうさんにつたえましょうね。

6がつはヨセフさまのつきです。ヨセフさまはイエスさまのおとうさん、マリアさまといっしょにイエスさまをいっしょうけんめいそだてました。
6がつ、とくにヨセフさまがわたしたちをまもってくださるようおいのりいたしましょう。

 

保護者の皆様

新学期が始まって二か月がたちました。お子様は新しい環境に慣れてきたでしょうか。
先日1階の講堂で「子供の日」のイベントがありました。
すみれ組さんの園児さんは階段の手すりにつかまってようやく降りていましたが、ばら組の園児さんはそれこそスタスタと手すりにもつかまらないで下っていくのです。
この様子を見て、子供たちの数年間の成長のスピードにすごいものだと感激しました。

さて先月の「園だより」の絵を覚えていらっしゃるでしょうか。登場人物は「聖家族」、つまりヨセフ様、マリア様、幼子イエス様です。
子育てに疲れたマリア様が休んでいる間イエス様の面倒を見ている「イクメン」ヨセフ様の姿が描かれていました。
カトリック教会では6月は「聖ヨセフの月」です。ヨセフ様はマリア様を守り、マリア様といっしょにイエス様を育てました。
イエス様の命の危険が迫ったとき命をかけて家族を守り、遠く離れた異国の地エジプトまで逃れたこともありました。(マタイ2章13〜15節)

マリア様とイエス様を守ったヨセフ様は一人一人の子供たちを天から守ってくださいます。
アビラの聖テレジアという聖人はこのように言います。
「私は聖ヨゼフにお願いして聞き入れられなかったことはありません。
私の言葉が信じられない方はどうぞご自分でお試しくださいませ。」

「聖ヨセフの月」6月、お子様、ご家族の皆様、とくにお一人お一人のお父様のためにヨセフ様の取次をもってお祈りしたいと思います。

6月園便り画像

今月のことば【5月】「母の日」

ごがつはなんのひかしってますか?ははのひですね!
5がつはおはながいっぱい!とてもきれいですね。
1ねんでいちばんきれいな5がつはママのためのつきです。

ことしのははのひは5がつ14かですよ!
ははのひのプレゼントはもうよういしてますか?
いつものありがとうをママにとどけましょうね!

みなさんにママがいるようにイエスさまにもママがいます。
イエスさまのママはマリアさまです。
だから5がつはマリアさまのつきです。
サレジオようちえんでは5がつ24かにマリアさまのおいわきをします。
これからまいにちみんなでいっしょうけんめいにじゅんびしていきましょうね!

 

お母様へ

母の日おめでとうございます。毎日送り迎えご苦労様です。子供たちの様子を見ていてその奥にあるお母様方の愛情が伝わってきます。

幼稚園では色んな場面でお友達との関わりを学んでいきます。遊びの中、教室で自分の気持ちを伝えたり、お友達の気持ちをくみ取ったり…幼稚園の毎日は社会性の学びの時であります。先日お友達が泣いているときに「大丈夫?」「ごめんね」とそのお友達の頭をなぜている園児さんがいて、こんなにちっちゃいのに他者を思いやる心が育っているんだな〜と思わずウルウルしました。

きっとお家で泣いている時にお母さんに「痛いんだね」「悲しいの?」と頭をなでられ癒されたのでしょう。人は体験から学び、それを他者に伝えるものなのでしょう。

私たちも子供たちと一緒にいる一瞬一瞬の中に子供たちの輝きを見つけ、それを育てていければと思います。

maria

 

今月のことば【4月】「ごあいさつ」

いよいよ新学期が始まりました。

行事や遊びを通して、たくさんのことを経験して学んでいけるよう、職員一同がんばります。

1年間よろしくお願いいたします。

 

【すみれぐみのみなさんへ】

にゅうえんおめでとうございます!サレジオようちえんへようこそ!

たのしいことがきっといっぱい!いっしょにがんばりましようね!

【ゆりぐみのみなさんへ】

おにいさん、おねえさんですね。あたらしいクラスでおともだちをたくさんつくってください!

いっしょにあそんだり、べんきようしながらおおきくなっていきますように。

【ばらぐみのみなさんへ】

ようちえんでいちばんうえのおにいさん、おねえさんですね!

あたらしいことにどんどんチャレンジしていきましよう!

こまっているおともだちをたすけてあげられるサレジオの子になれますよう

【保護者の皆様】

はじめまして。鳥越政晴と申します。このたび雨宮神父様を引き継ぎ、園長となりました。サレジオ学院中学高等学校の校長も兼任しておりますが、幼稚園の先生と精一杯頑張っていきたいと思います。

きっと保護者の皆様も心配なことがあると思います。スタッフー同保護者の皆様といっしょに歩みながらお子様の成長を支えていきたいと思います。

サレジオの創立者聖ヨハネ・ポスコは常々「サレジオに来る生徒は特別にマリア様が送ってくださった大切な子供だ」と言っていました。私どもはこの精神を大切にしながら、お預かりしたお子様を大切に育て、お子様がサレジオ幼稚園で過ごす日々の中での様々な経験を通して周りの人に心を開くことにできる子供になれるよう関わっていきたいと思っております。

ご家庭との連携を大切にしながらよりよい保育を実現していく所存であります。よろしく御願い申し上げます。

鳥越政晴

今月のことば【3月】「切なくも美しい季節」

「1年に1度、名残惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません。」(星野道夫著「旅をする木」より)

先日夜駅からの道を歩いているとき、春の気配の混じったまだ冷たい風に当たって、何だか切なくなってしまいました。そう言えば、これまで何度もこんな思いになったなあ、とひとつの節目を確かめました。

日本の四季はとても美しいです。それは移り変わっていく美しさなのかもしれません。ずっととどまるのではなく、ほんの少しだけ私たちの手の中にあり、また離れていく。そのつかの間の時間を、ほんの少しの感触を、ささやかな香りを、あっという間に残像になっていく姿を、切なくも美しいと感じるように思います。「ああ、この瞬間がずっと続いてくれたらいいのに」と願うのも、どこかでそれがとどまることのできないものであることに気づいているからなのでしょう。

出会うに時あり、別れるに時あり。そのすべては神の手の中にあり、あたためられ、癒されていきます。そしてそれらは、記憶の中に残ると同時に、私たちの血肉にもなっていきます。意識しようとしまいと、その一つひとつが今の私を作り上げているのですから。

ばら組さん、卒園おめでとうございます!みんなが元気に卒園していくのを見ることができて、本当に嬉しいです。いろいろなことがありましたね。そのすべてが、今日のみんなの心と体になっています。どうかこれからも、心の強くて優しいサレジオの子でありますように!

ゆり組さん、すみれ組さん、この一年でぐっと大きくなりましたね。とても嬉しいです。さてさてこの春から、みんなはどんなお兄さん、お姉さんになるのかな?楽しみ楽しみ!

神さまの恵みが皆さまお一人おひとりの上に豊かにありますように。

心からの感謝を込めて。

園長 雨宮泰紀

【2月】「子どもたちの歌の力」

暖冬になるとされていましたが、この冬は既に5回ルルドのマリアさまにつららができました。つららや池の氷は、子どもたちに大人気。四季の豊かな日本の季節をたくさん体験してほしいなと思っています。

さて、2月は音楽会です。今年度は暦の関係で例年に比べて1週間ほど練習期間が短く、指導する側も少しドキドキしてしまいますが、子どもたちは楽しく練習しています。

今年度は保育者全員音楽の専門家に歌の指導法などを教えていただき、私も特に幼児期の子どもの適正な音域などを教わりました。基本はわらべ歌。また3~5音でメロディーを作ると覚えやすいとのこと。私は専門的に音楽を勉強したことはなく(非常にゆるくピアノを習いましたが)、ギターも他の楽器も見様見真似です。作曲も必要に応じて少ししてきましたが、素人の経験値を総動員しての作業です。そんなわけで、自分が疑問に思っていることをいろいろと解いていただく貴重な時間になりました。

少しお恥ずかしいのですが、今年も子どもたちと一緒に歌う曲を作らせていただきました。今回作った「ぼくの一日」は、子どもたちが重ねている日常の様子といつも思っている大切な気持ちを歌詞にしました。先日のリハーサルで子どもたちと一緒に演奏したときは、自分がイメージしていたものとあまりに合っていて、むしろそれ以上の子どもたちの歌声に心が震えました。子どもたちが私から何かを引き出してくれたように思い、本当に子どもたちに感謝したい気持ちでした。

大昔から人は歌を歌い、嬉しい気持ち、悲しい気持ち、切ない気持ちなどを込めてきました。そしてそれは誰かに届き、神さまに届き、そして自分に帰ってきたのだと思います。

美しいもの、真なるもの、聖なるものを感じる心が育まれますように。

園長 雨宮泰紀

【1月】「新春刈り払い染め」

皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

私事ですが、年末年始は実家に戻りゆっくりしました、と普通はなるのですが、私の場合、実家の畑で刈払機を回しておりました。もちろんお正月もしましたが、16年前に亡くなった父の畑にどうしても十分手を入れられず、まとまった休みに家庭のある弟と助け合いながら畑仕事をして、何とか維持しています。というわけで、「日の出暴走」ではないですが、新春早々刈払機をうならせていたわけです。

小さい頃から畑で父の手伝いを少しばかりしていたせいか、私自身はそれほど抵抗もなく、独りでの作業も結構楽しんでいます。燃料が切れると一休み。しばらくは耳がキーンとしていますが、その後聞こえるのは鳥の声と風の音、風に吹かれる枯葉の音、遠くに聞こえる高速道路の車の音。お昼ごはんはおにぎりとたくあん、インスタント味噌汁にみかん。午後日が落ちる前に作業を終了。富士山が夕日に赤く染まり始めると急に冷え込んできます。そこで、恒例の焚き火タイム。小学生の頃父から教わったやり方通り。小さな焚き火の炎を見つめ、その火に当たっていると、本当に静かに満たされた気持ちになります。不思議なものです。特別な何をしているのでもないのに。恐らく父のそのまた父の、そのまた父の時代からほとんど変わっていないのでしょう。きっと身近にあるささやかなものの中に、心を満たしてくれるものがたくさん潜んでいるのでしょう。

学校評価アンケートを集計しました。皆様の温かいお心遣いに深く感謝いたします。こういう時期だからこそ、「最も大切なこと」は何か、しっかり見極めていきたいと思っております。アンケートに関しては改めてご報告させていただきます。

新年が皆様にとって神の恵み多き日々となりますように。

園長 雨宮泰紀

【12月】「アシジのフランシスコの馬小屋」

晩秋から冬にかけての季節。夕暮れが早くなり、ちょっと我に帰るような風の冷たさに触れるとき、なんだか素直な気持ちになったりします。いい季節だな、と思ったりします。

12月はクリスマス、イエスさまの誕生をお祝いします。今園長室の前に馬小屋(イタリア語でプレゼピオ)があります。イエスさまが生まれたシーンを再現しています。ちなみにこの期間、私は森を抜けて園長室に行く気分です。それはよしとして、初めてこの馬小屋を作ったのはアシジの聖フランシスコという聖人です。時は13世紀、カトリック教会が富も権力も絶頂を極めた時代です。そんな時代に、ほぼ乞食状態だったアシジのフランシスコとその同志たちは、「神の子イエスさまは、本当はこんなところでこんなふうに貧しくささやかにお生まれになったんだ」ということを人々に分かりやすく紹介するために、天然の洞窟に本物の動物などなどを連れてきて「本当のクリスマス」のシーンを再現したのでした。

富と権力のすべてを掌握した教会、その対軸にあるフランシスコのプレゼピオ。不思議なことに、この絶頂を極めた教会の長であるインノケンティウス3世は夢でフランシスコたちのことを見て、「この倒れかかった教会を支えているのは、あのアシジの乞食たちだ」と言ったと伝えられています。恐らく彼は富と権力の真ん中にあって、「本当に大切なものを大切にしているのは彼らなのだ」と直感していたのでしょう。

素直であること、素朴であること。どうやら大切なことへの近道は、こういう方向なのかもしれません。そう考えると、身近なことへ素直で素朴な心を開くことができたなら、大切なものをもっと大切にできるのかもしれません。

皆さま、よいクリスマスと新年をお迎えください。

神の恵みを。

園長 雨宮泰紀

【11月】「命を教わるということ」

カトリックでは11月は「死者の月」とされており、追悼ミサや祈りを捧げたり、お墓参りをしたりします。亡くなった方々に思いをはせ、神さまに委ねて祈り、また自分たちのことを見守ってほしいと願います。

私たちは様々な「死」を体験します。例えば、「話題に出てくる死」があります。ニュースで「〇〇で自爆テロ、死者△△人」ということを耳にする時、「戦争はなくなってほしい、その人たちがかわいそうだ」と思います。しかし、そのすぐ後で「広島が大谷をトリックプレーで崩し先制しました」のような速報を聞くと、悲しいですがあっという間に忘れてしまいます。私たちの感じ方には、どうしても違いがあります。

しかし、「大切な人の死」は特別です。深い悲しみと喪失感。何もできなくなってしまうこともめずらしくありません。「その人が亡くなったから、代わりに別な人を」ということにはなりません。その人は自分にとってかけがえのない人だから。つらい思いを背負い日常に戻りながら、少しずつ喪失感がその人に対する感謝に変わっていきます。「大切な人の死」を通して、私たちは必ず死ななければならないということを学び、一方で「また会いたい」という思いを抱いていることに気づきます。死は命の対極にあるのではなく命に内包されているのであり、永遠への思いもまた、その中にある。命を教わるとはそういうことなのかもしれません。

最後に、私たちは例外なく「自分自身の死」と向き合わなければなりません。私たちは「大切な人の死」を通して自分の死を受け入れていく準備をしていきます。そして、自分に限りがあることを深く意識するほど、「今自分はどう生きたいのか、誰とどのように過ごしたいのか」という思いを強くするのだと思います。

大切な人とのささやかな日常を、大切に積み重ねられますように。

園長 雨宮泰紀

ページトップへ